『一億二千万宣教』を『キリスト教世界観』に立って

国内宣教スピリット_ページ_1

新シリーズ『国内宣教スピリット」1
『一億二千万宣教』を『キリスト教世界観』に立って 廣瀬《ひろせ》 薫《かおる》
世の光第680号2007年5月1日 NO.129国内宣教 より

「われわれは、伝道と社会的責任とを互いに相容れないものとみなしてきたことに対し、
懺悔の意を表明する」(ローザンヌ誓約)

「一億二千万宣教」とは何を目指す標語でしょうか。日本に生きる全ての人々にイエス・キリストの救いの福音を宣く伝えるとは、何を内容とするのでしょうか。

 それは「人の魂に救いをもたらすこと」だけでなく、「人の救いを通して世界を完成に向かわせること」を含んでいます。この点を余りに狭く理解して来たことを、1974年のローザンヌ誓約は悔い改めましたが、以来30年を経た今、世界は国家主義や経済主義の下にますます歪み、「命」はないがしろにされ、本来の姿に活かされない被造物は「うめき」(ローマ8章)つつ「神の子どもたちの現れを待ち望んで」います。

 この時代私たちは、「聖書的な世界観」(歴史観、人生観、価値観の枠組み)を明確に踏まえ、いわゆる「キリスト教世界観」に立った宣教を展開することが大切だと思っています。言い換えれば、神の「創造」、人間の「堕罪」、キリストによる「救済」、世界の「完成」(終末)という4ポイントを枠組みとした伝道です。

 具体的に言うと、例えば、福音の提示を従来伝統的には「神l罪l救い」の3ポイントか、あるいは「信仰」を加えた4ポイントで行って来たのだと思いますが、これに終始する伝道方法ですと、教会とキリスト者は世を変革する力を持ち得ないと思います。なぜなら「信仰を持って救われたあとの生き方」のビジョンを何も語っていないからです。日本の教会は「どのようにしたら救われるか」を大変良く教えてくれますが、「救われたあとどのように生きて行くのか」をなかなか教えてくれない所だと思います。そこに弱点の一つがあると感じます。つまり「キリスト教世界観」の4ポイントで言うと、「創造」とそれが指し示す「完成」への射程が弱いのです。これは一種の「現代的グノーシス主義」(世の本質を「悪」と見る傾向)ではないかと危倶します。そのために「日本のキリスト教徒は妥協した二重生活をしている」(遠藤周作)と言われる状況や、多くの「教会を離れた信仰者」を生み出す結果を招いていると感じています。

 新しい信仰者へに「聖書」や「教会」や「ディボーション」が教えられても、それだけでは信仰生活は個人的・教会内的な次元に限定されて行くのではないでしょうか。
 さらに「創造」と「完成」に基づいて、「仕事・世での奉仕」や「家庭・子育て」や「社会・経済」や「国家・政治」への姿勢を教えられれば、キリスト者は「週日の意義深さ」に目が開かれるでしょう。そして聖書的に一貫した世界観に立って、人生に前向き・積極的・肯定的に取り組む視座を得るでしょう。今「一億二千万」が、人を本当に活かす命をもたらす福音の「宣教」を待っているのです。(現日本同盟基督教団理事長)

Follow me!